救助の巡査部長死亡=東京都板橋区の東武線事故
2月12日16時0分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070212-00000044-jij-soci
東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で、線路に侵入した女性を助けようとした警視庁板橋署の宮本邦彦巡査部長(53)が電車にはねられた事故で、重体だった宮本さんが12日午後2時25分、治療を受けていた同区内の病院で死亡した。
職務を果たしたと言えばそうですが、あまりにやるせない事故でした。
この警察官の方のご冥福をお祈りすると共に、もう一度事故を見直してみましょう。
東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で6日夜、自殺を図ろうとした無職女性(39)と、救おうとした警視庁板橋署常盤台交番の宮本邦彦巡査部長(53)が急行電車にひかれた事故で、ホームにあった非常通報装置を誰も押さないまま、2人は1分間ももみ合いを続けていたことが分かった。重体の宮本巡査部長は「正義感の強いお巡りさん」と評判。一夜明けた7日、回復を祈る人が交番を訪れ、小学校から折り鶴が届いた。【佐々木洋】
宮本巡査部長は、踏切内にいた女性をいったん交番まで連れてきたが、女性は飛び出し、遮断機が下りていた踏切に再び入って、「死んでもいい」と叫びながら線路を走った。宮本巡査部長は、線路にとどまろうとする女性を、ホーム下の避難スペースに押し込もうとしていた。女性は巡査部長の腕を振りほどき、線路から離れようとしなかった。電車にひかれるまで、もみ合いは1分も続いていた。
急行電車の接近に気づいた巡査部長は、電車に向かって大きく手を振り、「止まってくれ」と何度も叫んだ。しかし、ときわ台駅は急行の通過駅。電車はスピードを落としていなかった。「2人に気付いてブレーキをかけたが、間に合わなかった」と運転士は話しているという。
宮本巡査部長は意識不明の重体、女性は腰を打って重傷を負った。東武鉄道によると、女性が線路に入り込んだ踏切には、人や車を自動感知するセンサーが設置されている。遮断機が下りた後でも6秒以上立ち止まっている人や車に、センサーが反応し、40メートル手前の信号機が運転士に異常を知らせる。しかし、女性と、その後を追う巡査部長が踏切にとどまった時間は短かった。そのためセンサーは作動しなかった。
またホームには、4カ所にボタン式非常通報装置があった。誰かがボタンを押せば、1キロ以内にいる電車に警報を伝えることができた。しかしラッシュ時が過ぎたホームには、たまたま駅員がおらず、もみ合いを見ていた多くの利用客たちも、とっさの判断でボタンを押すこともなかった。
◇ ◇
宮本巡査部長は、熱心な仕事ぶりで、近所の人たちからも信頼されている。近くでうなぎ店を経営する男性(51)は、宮本巡査部長が進入禁止の道に入った車を追いながら、「止まりなさい」と大声をあげて走る姿を記憶している。「正義感が強いが、ふだんは気さくにあいさつする人で、親しまれている」という。
近くの主婦(45)は、不審者に追われて交番に駆け込んだとき、宮本巡査部長の対応を受けた。「『何かあったらすぐに相談してくださいね』と優しく声をかけてくれた」という。
交番には、近くの小学校から届けられた折り鶴が飾られた。同僚の警察官は「早く回復して。それがみんなの願いです」と一言だけ残し、寒風のなかパトロールに出かけた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070208-00000016-mai-soci
なぜ誰も非常警報装置を押さないのか。
こういう列車事故を見るたび、いつもそれを思います。
今映画になってる、2001年1月にJR新大久保駅でホームから転落した客を救おうと、線路に飛び降り犠牲となった日本人カメラマンと韓国人留学生の件を踏まえても、何故同じ過ちを繰り返すのか。
「非常警報装置を押す」という発想がないのでしょうか?
正味の話、それ以外に列車事故を防ぐ方法はありません。
選択肢は一つしかないのです。
線路上で手を振ったところで、運転手の肉眼で確認できる距離からでは止まりません。手遅れです。
私なんてアホほど慎重派で小心者のせいか、危険性が考えられる場合は常に下調べと用意をします。
皆さんも、旅行先のホテルで非常階段の位置を調べるぐらいはするでしょう?
考えられる答えは二つ。
1、「非常ボタンを押すと鉄道会社などに迷惑が掛かると思ったから」
2、「事故に繋がると思ってなかったから」
こんなところでしょうか。
この二つの答えには、大事な共通点が隠れています。
それは「現実味」
非常ボタンを押すと、鉄道会社に迷惑が掛かる。これは至って現実味のある話です。
人身事故などでダイヤが狂った場合、とんでもない額の損害賠償を請求されるという話も聞きます。
更に、非常ボタンというものは「気軽に押してはいけないもの」という潜在意識が働いてると思われます。
よく学校で非常ベルを押すイタズラをやる奴とかいたでしょう?
何となくですが、非常ベルのイメージが『押したらダメ』と言ってる気がするのです。
では二つ目の「事故に繋がると思っていない」という点。
これは至って現実味のない話・・・だと思っているからです。
実際は事故なんてどこでも起きてます。
明日、会社に行く通勤途中で上から投身自殺の人間が降ってくるかもしれません。
帰ったら隣の家から出火して、自分の家が燃えているかもしれません。
もっと言えば、運転している最中に子供が飛び出してくる可能性なんて、運転中常時あると言っても過言じゃないでしょう。そう、人の生活に事故は隣り合わせです。テレビやニュースやドラマの中だけの話じゃありません。
しかし、実際は「事故とは自分の人生とはかけ離れた世界の話」と思っている人が多いと思います。
地震に遭うまで、地震の危険性を把握もしなければ「もしも」の場合も考えないのと同じです。
朝起きたら洪水で水の中に自分の部屋が沈んでて、初めて「もしも」の場合が「現実」になるのです。
この事故で言えば、「二人が轢かれる」までは、誰も「事故」と「現実」とが合致していなかったのだと思います。
もしもこの場で、こういう状況を以前体験していた人間がいたなら、行動に移せた事でしょう。
「もしも」「もしかして」「最悪の場合」「有り得ない話ではない」等・・・
最悪のシチュエーションを現実として捉えられるか否かが、行動の鍵となるでしょう。
これは勇気とか云々の話ではありません。度胸でも正義感の話でもありません。
単純に『事故』と『現実』が重ねられない
「こうなったらヤバイ」を考えられる人がいかに少ないか
という事です。
この意識が根付かない限り、事故はなくなりません。
ひいて言えば、イジメ問題もなくなりません。
「こうなったらヤバイ」が考えに根付かない限り、どんな悲しい出来事でも起き、そしてそれが教訓に生かされる事もまったくないのです。
最悪のパターンを常にイメージできない人に
誰かを救う事なんて絶対不可能です。
例え何十人、こうやって悲しい死を遂げたとしてもね。
こういう人達を犬死させない唯一の方法は、「こうなったらヤバイ」という最悪のパターンを常にイメージする心を持つ事です。
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